超弩級コレクター列伝★その1

 20世紀最大のコインコレクター、エジプト・ファルーク王!


  エジプトのファルーク1世(在位1936年~1954年)は世界最高のコインコレクターとして名高い。そしてコイン以外でも超弩級のコレクターだった。博物館級といわれた稀少コインコレクションに加えて、切手、宝飾品、自動車、ポルノグラフィー、初期カミソリ(?)、アスピリンボトル、(なぜなぜ!?)そして美女まで。彼の収集癖はとどまることをしらない。なにしろエジプトの国王である。16歳で国王になって以来、ヨーロッパへの石油の大動脈スエズ運河の利権を利用すれば「美しいものは何でも手に入れる」というコレクター道を邁進し続けることは可能だった。しかし1954年のナセルによるクーデターにより廃位となる。彼が国王として贅を極めた18年間に各分野でいかにすさまじいこれコレクションを作り上げたのか興味あるが、小生が知り得るのはコインの分野だけだ。ちなみにyou-tubeでFAROUK'S TREASURES -という動画を見つけたのでURLを紹介しておきます。

https://www.youtube.com/watch?v=wvvuxcR-bJ8

 革命後にファルークはイタリアに亡命する。彼の膨大なコレクションは後にエジプト政府によりオークションにかけられるが、その最大の目玉は8500枚に及ぶ稀少コインコレクションだった。日本のコインディーラーに聞いた話だが、各国の政府はファルークの関心を買うため贈呈用コイン(プルーフ貨)を鋳造しプレゼントしたそうだが、このカタログを見ると銀貨の金打ちプルーフ貨が何点もある。Krause(電話帳カタログ)には記載がないので、おそらくこれらがファルーク王への贈呈用として製造されたコインと思われる。エジプト国王としての立場を利用すれば博物館級のコレクションができあがるのも当然だろう。

 1954年2月24日よりロンドン・サザビーズ主幹のもとでファールークのコレクションがカイロのKoubbeh Palaceにてオークションにかけられる。(上の写真がそのカタログ。110ドルで入手した。コインも写真はモノクロでかつ全てのロットの写真が掲載されているわけではない。博物館級のコレクションにもかかわらず残念である。それでも貴重なものには変わりが無い)。革命直後で、コインの下見会は武装した兵士の監視のもとで行われるという異例づくめのオークションだった。その中で世界中の注目を集めるコインがあった。ロットno.185の17枚のアメリカ20ドル金貨セットに含まれる1933年銘の一枚だ。

 

  アメリカ1933年20ドル金貨とは、アメリカ政府によって個人所有を禁止されたコインである。アメリカは金本位制をとっており、その本位通貨として金貨が発行されていたのだが、世界大恐慌の影響を抑えるために金本位制を停止することになった。すでに発行され造幣局金庫と造幣局レジ係金庫に保管されていた1933年20ドル金貨445,469枚は1934年2月6日から3月18日の間にすべて溶解され、スミソニアン博物館に送られた2枚だけが地上に存在することになるはずだった。しかし1937年2月15日にはイスラエル・スイットという宝石商が500ドルで販売し、その後も何度か別のディーラーによる1933年銘20ドル金貨の販売という広告が新聞に掲載される。スイットが販売したコインはシークレットサービスに没収されたが、違法とは知りつつ購入するコレクターの気持ちは良くわかる(涙)。しかし一体何枚の1933年20ドル金貨が溶解という運命を免れたのか。(1933年20ドル金貨のミステリー①)

 ファルーク王コレクションに含まれた1933年20ドル金貨も溶解を免れた一枚である。オークションカタログを見たアメリカ財務省は、エジプト政府へ1933年金貨のオークション出品を取り消しと、アメリカへの返却を要請する。ナギーブ大統領はアメリカ財務省の要求を受け入れ出品を停止するのだが、コインはアメリカに返却されることなく、それ以降所在が不明となる。(1933年20ドル金貨のミステリー②です)

 そして1996年2月7日、イギリスコイン商、ステファン・フェントンの手でニューヨークに持ち運ばれるのである。フェントンの説明によれば、彼はこのコインをエジプトのコレクターから購入したとのこと。ファルークコレクションの際に行方不明となってから46年後のことであった。

 蛇足ながらロットno.185の16枚の20ドル金貨はアメリカのコレクターMrs.Nowebさんが8,467ドルで落札したし、ファルークコレクションでは最高値の落札価格だった。

 ニューヨークに1933年20ドル金貨をも持ち込んだステファン・フェントンは到着の翌日シークレットサービスに逮捕され、コインは没収される。5年間の法廷闘争を経てアメリカ政府とフェントンは和解し(利益を折半ということでオークションが許された)、2002年1月30日にニューヨーク・サザビーズにてオークションにかけられることになる。上のカタログがそれだが、表紙を見てわかるように「1933年の20ドル金貨」たった一枚だけのオークションという異例のものだ。オークションはわずか8分で終了し、落札価格は759万ドルで一枚のコインとしては世界最高価格を記録する。(その後この記録は2013年2月に開催されたニューヨークのオークションでの1794年1ドル銀貨の落札価格約1000万ドルで破られることになる)

 さて、1954年のファルークコレクションに戻ろう。われわれ日本人としては日本のコインが含まれているかどうか興味がある。金貨で11ロット、銀貨その他で7ロットあった。慶長大判、享保大判、万延大判などのほか、注目すべきはロットno.1368の明治13年のプルーフセットだ。20円金貨、10円金貨、5円金貨、2円金貨、1円金貨、1円銀貨、50銭銀貨、20銭銀貨、10銭銀貨、5銭銀貨、1銭銅貨、半銭銅貨、1厘銅貨の13枚セット。日本国内のオークションでもお目にかかったことがない逸品で、落札価格は105エジプトポンド(手数料5%を加算しドル換算すると317,5ドル)。落札者は後年大コレクターとしての名声を得ることになるジョン・J・ピットマン氏だ。

 博物館級と言われたファルーク・コレクションのオークションは9日間も開催され、全部で2798ロット、総額で218,841エジプトポンドの落札となった。当時のエジプトポンドの相場がわからないのでピットマンが落札した明治13年プルーフセットからその価値を推定してみよう。明治13年プルーフセットは1998年8月のピットマン・コレクションのpart3で約43万ドルで落札されている。それから逆算すると1998年時点での価値換算でなんと、約9億ドル!!(小生の計算があっていればだが)。ファルークの贅沢がいかにすごいことか! エジプトでクーデターが起き、ファルークが国外追放になったのも納得できる。

■蛇足① ファルーク王の切手コレクションは1951年に開催されている。上がそのオークションカタログだ(コインオークションのカタログを注文したら,間違ってこれが届いた。返品・交換するのも面倒なので、そのまま購入したというもの。海外との取引ではこういうことがよくある)。切手は専門外なので、このコレクションのすごさがわからない。残念だ。誰か教えてくれる方がいらっしゃいましたら是非ともアドバイスいただきたい。

 ちなみにイギリスのジョージ5世も切手の大コレクターだったそうだ。

■蛇足② ファルーク王にはコイン担当の侍従がいたそうだ。彼は銀貨、銅貨のほとんど全てにラッカー(ニス)加工して保存していたそうだ。(「収集」1999年10月号記事)

■蛇足③ イタリアのヴィットリオ・エマヌエーレ三世もコイン収集家・コイン研究家として著名である。エマヌエーレ三世は第二次大戦後に王政が廃止となり、エジプトに亡命しファルーク王のもとアレクサンドリアで晩年を過ごした。この二人の大コレクターがいかなる会話をしたのか非常に興味があるがだが、まったく資料がない。

■蛇足④ アメリカ1933年20ドル金貨だが、2018年5月にペンシルバニアのコインショーで別の一枚が当局によって押収された。その金はフォートノックスの金庫にこれまで押収された10枚と一緒に保管されたそうだ。スミソニアン博物館に収蔵された2枚、フォートノックスの金庫に保管された11枚、そしてファルークの1枚、合計で14枚の現存が確認されている。


■蛇足⑤ 世界一高価なコインとして検索すると、1933年20ドル金貨は1794年1ドル銀貨についで第2位としてランキングされている。しかしアメリカだけを見ても、これを超えそうなコインが存在する。1804年1ドル金貨、1822年10ドル金貨だ。世界を見れば、将来それと世界一を競いそうなコインは中国コインだろう。このまま中国経済が発展を続けアメリカを抜いて世界NO.1となり、中国共産党の幹部がコインコレクターとなり、それが2名以上となれば必ずオークションで競うからだ。その時の一枚がどれになるのか、興味はつきない。


コイン収集歴30年 アンティークコイン図書館

外国コインを収集して30年のコレクターです。コイン収集の魅力に取り憑かれ、気がついたらオークションカタログや雑誌、参考文献、関連図書が山積みとなっておりました。いずれは棄てられてしまう可能性が高い書籍たちです。貴重な資料もあるので、その内容をWEBに残しつつ、コイン収集の魅力を紹介したいと思います。

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