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 もっとも美しいコインの第2弾は近代銀貨編である。近代とはいつという質問をいただいたが、ここではデニス・R・クーパーの「The Art and Craft of COINMAKING」に従って1780年以降とすることにする。

 コインの製造方法は時代とともに進化を続けた。製造方法で分類すると3つに区分していいだろう。①古代ギリシアから中世ま。人力によるハンマードコインとなる。 ②スクリュー式機械(人力で動かすもの)を使用したコイン。 ③蒸気や電力を用いたプレス機によるコイン の3つである。ここでは③のプレス機が登場してからを近代コインと便宜的に呼ばせていただくことにしたい。では、「もっとも美しいコイン②近代銀貨編」の本論に入ります。最初にご紹介するのはイギリス・ゴシッククラウン銀貨である。

 この画像では表面、裏面の両方を並べてアップしているが、実物のコインを初めて手に取ったときを想像していただきたい。まず表面を見るだろう。表面はエリザベス1世。王冠とドレスが細部まで表現され、かつ銀の地肌部分を大きく取ることで女王の姿が浮く上がってくる。見事なバランスだ。続いてコインを裏返す。時に目に飛び込んでくるのは、コイン全面に、しかも隙間無く施された繊細なデザイン! 表面を最初に目にして、次に裏面を見たときの誰もが驚くだろう。大胆かつ繊細なこのコインのデザイナーはウィリアム・ワイオン。また、このデザインを完璧に刻印した王立造幣局の技術力にも驚く。ゴシッククラウンが製造された1847年は、日本では弘化4年、徳川家慶の時代で寛永通宝や一分銀の時代なのだから。


 次にあげていいのは、ロシアの通称ファミリールーブル。1835年と1836年にわたり発行された1と1/2ルーブル銀貨で、発行枚数は合計でわずか86枚。皇帝ニコライ1世の家族のために発行されレアコインである。1835年と1836年の違いは裏面の7人の肖像画の処理である。1835年には7人の子供たちが中央の皇后アレクサンドラのようにサークルの中に入っている。その写真を見つけることができなかったのでKMカタログの図版を掲載いたします。

▲上が1836年
▼下が1835年

 2枚を見比べると確かに1836年のほうがスッキリして、いいデザインだと思う。が、この変更には他の理由があるように思う。実はこの1835年はデザイン盗用の可能性が高いのだ。下の写真はドイツのバイエルンで1828年に発行されたルードヴィッヒ1世のターラー銀貨の裏面だ。


 サークル内の子供の人数が8人と、それぞれの名前が刻まれているという違いの他は、ほぼ同じと言っていいだろう。発行枚数は不明だが通常貨として発行されたので、その一部はロシアにも流入し、ロシア帝国造幣局のデザイナーが見て、ファミリールーブルのデザインに使用した可能性は否定できない。ロシア皇帝とその家族の繁栄を祝う記念コイン(1835年版)が、「皇帝」よりランクが低い「王」のコインのデザインを盗用したとあらば、ニコライ1世は当然激怒したと思われる。そのためデザインの一部を変更して1836年に再度発行されたのではないかと小生は考えている。しかしデザイン変更の理由が何であれ、1836年のファミリールーブルは装飾過剰になりやすいコイン・デザイン界においては、シンプルに徹したデザインという意味で名品と言っていい。1835年、1836年ともにオークションで見かける機会は少ない。ロシアコインコレクターにとっては、この2枚を同時に所有するのが夢だ。

 次の候補は、またしてもイギリスのスリーグレイセス。1817年のジョージ3世のクラウン試鋳貨であり、金打ちも存在する。レアリティは「ENGLSIH SIVER COINAGE」によるとR2の「Very Rare」だから50~100枚は存在すると思われる。デザインはW・ワイオンとあって日本でも人気が高いコインだ。下の写真の通り彫りも深くシャープで、大変見栄えがする。

しかし、スリーグレセスを「もっとも美しいコイン」に加えるかと聞かれれば筆者は迷ってしまうのだ。その理由は、表面のジョージ3世の肖像だ。ジョージ3世は「The Madness Of King George」という映画が出来るほど精神疾患に悩まされ、1820年に他界するまで隔離されていたとのこと。このコインは王が崩御する3年前に作られたためか、ジョージ3世の肖像はやや不気味である。さらに、このコインの名声を高めた裏面の3人の女神像にも問題がある。


 三人の女神像をアップするとこんな感じになる。はっきり言って美しくないのだ。右側の女神のポーズはバランスが悪く不自然だし、さらに中央の女神の肩にかけた右手の品のなさ。名匠ワイオンのデザインとは思えない。ということでこのブログでは「スリーグレイセス」はもっとも美しいコインにはノミネートしないことにいたします。ファンの方ごめんなさい!

「もっとも美しいコイン ③近代銀貨編」につづく


 もっとも美しいコインとは? コイン収集の魅力は美術品とも言えるデザインの楽しみがあるが、ギリシャ・ローマの時代から含めると2000年以上の歴史があり、その中からチョイスするとなると簡単にはまとめきれない。そこで時代別、素材別で考えてみたい。第1弾は近代金貨編です。

 もっとも美しい金貨は何か何かとコインコレクターに聞けば、大半の人が筆頭にあげるのが「ウナ&ライオン」。1839年発行のイギリス5ポンド金貨で発行枚数は400枚。デザイナーはウィリアム・ワイオン。王立造幣局の主任原版彫刻師でまさにコイン史上最高の天才だ。表面は若きヴィクトリア女王の肖像、裏面は大英帝国を暗喩するライオンとそれを従える女神。肖像の大きさ・文字のサイズと金の地肌部分のバランス、どれをとってもパーフェクトと言っていい。さらにコインの両面が女性という点でもポイントが高い。というのも西洋コインの表面は君主の肖像が使われる。従って威厳あふれる君主の横顔が多い(簡単に言えばいかめしいおっさんの顔横)。一方コインコレクターの大半が男性である。男性は女性に弱い。デザイン上もパーフェクトであり、かつコインの両面が女性という2重の意味でウナ&ライオンは最高のアイアピールの一枚と断言していい。

 

 2番手にあげらるのは「雲上の女神」。オーストリア1908年発行の100コロナ金貨。皇帝フランツ・ヨーゼフ2世の在位60年を祝福して、16,000枚発行された。表面はフランツ・ヨーゼフ2世の肖像、裏面は雲の上に横たわる女神で、この裏面のデザインのおかげで人気の一枚でになったと言えるだろう。発行枚数が多く、さらに状態のいいコインが多く比較的入手しやすい。このコインの弱点は表面がウナほど魅力がないという点がひとつ。さらに裏面のデザインは魅力的なのだが、打刻があまくシャープさがないという点である。打刻がシャープであれば金の地肌部分と女神のコントラストが一層際立って見応えあったと思われる。

 

 第3位のあげられるのはアメリカ20ドル金貨、女神立像だろうか。通称セント・ゴーデンズ。1907年から1933年まで発行されアメリカでは「最も美しい金貨」とたたえられている。が、上記の画像をご覧いただくと感じると思うが、凡庸なデザインである(アメリカのコレクターの皆さん、ごめんなさい!)。金貨はその素材である金の持つ魅力から、印刷物やWEB画像では魅力的に見えなくても現物を見ると心引かれることが多いのだが、セント・ゴーデンズの実物を手にとっても小生は魅力を感じることはなかった。しかしである! 例外がある。下記の一枚をご覧ください。

 これは2009年発行された20ドル金貨ウルトラハイレリーフである。平板に見えた女神が浮き彫りになり、俄然ゴージャスになる。これならば「世界一美しい」に同感できる。通常の20ドルとの主な相違点は表面の発行年の刻印が,通常はアラビア数字(つまり1907)になっているのに対し、ハイレリーフではローマ数字(MCMVⅡ)となっていることとが第一点。さらにご覧の通りコインの地肌部分が深く抉られ、その代わりに女神像が高く浮き上がっていることだ。それ故に、ハイレリーフ呼ばれる。なぜこのデザインに勝るハイレリーフが1908年以降発行されなかったかというと、理由は二つ。まず大半のアメリカ国民がローマ数字を理解できなかったということ。二つ目がハイレリーフの場合、レリーフの突起部分がコインのリムより高いので、コインを重ねることができなく通貨として使用しにくいということだ。だらかデザイン的に劣る版が採用されたのである。

 さて2009年発行のものだが、こえrは1907年のハイレリーフをRESTRIKEしたものではなく、1907年のハイレレリーフのさらに上をいくウルトラハイレリーフを復刻したものだから、さらにレリーフ部分が強調され美しい。これならば「最も美しいコイン」に入れてもクレームはこないだろう。蛇足ながら1907年発行のウルトラハイレリーフは現物を見ることは至難だ。なにしろ世に出た記録は、1990年のプライベートセールが最後で、その後はオークションにも出品されることはなかった。コンディションも最高でPR68!! 30年前で150万ドルだった。以上が「もっとも美しい近代金貨のベスト3」である。が、まだ紹介しなければいけない金貨がある。蛇足として3枚紹介したい。

 次点① チェコ 1934年発行 ダカット金貨 1934年にクレムニッツ鉱山再開記念として発行された一枚。チェコの金貨といえば「馬上の聖ヴェンセスラス」が有名だが、このクレミニッツ鉱山再開記念貨は知名度はいまひとつだが、デザイン上はそれを上回っている。1,2,5ダカットのほかに10ダカットの大型金貨も発行している。Kp社発行の「Standard Catalog of World Gold Coins」によれば10ダカットの発行枚数は68枚だから、ウナ&ライオンより入手は困難である。ヘキサゴン(六角形)を表裏の両面のデザインに取り入れ統一感を出しつつ、一方では細部にまで拘るという中世コインの伝統を受け継いだ、いわば近代と中世を融合した一枚と言っていい。デザイナーが誰かはまだ調べきれてない。知っている方がいらっしゃったら教えていただければ幸いである。


 次点② イタリア 1906年発行 100リラ パターン貨  コインコレクターとしても著名なヴィットリオ・エマヌエーレ3世の試鋳貨。つまり発行されることがなかった貨幣だ。下の写真の通り、4匹のライオンにひかれる女神像のデザインは秀逸である。ちなみにウナ&ライオンではライオンが1頭なのに、こちらは4頭である。イタリアは大英帝国を大きく越えるという気概の表れなのかもしれない。エマニエーレ3世はこのデザインがよっぽどお気に入り見えて、1919年より額面を50セントに変えてニッケル貨として発行した。この50セントコインも人気が高いが入手は比較的容易である。デザインが美しいだけに50セントというマイナー貨だけでなく大型銀貨ででも出してくれていればと思うのは小生だけであろうか。


 次点③ しかし大本命コイン。イギリス・ゴシッククラウン金打ち 次の写真がそれである。「世界で一番美しいコイン」と言われるゴシッククラウンの金打ち。レア中のレアコイン。平成20年の銀座コインオークションに出品された一枚。鏡面状に磨き抜かれた金の地肌部分の美しさ、そして霧がかかったように白く浮き上がった肖像と文字。まさに宝石と表現しても過言ではなかろう。このコインの実物を見ることができただけでも眼福であった。どなたが落札したのはわかりませんが、このコインが日本に残っておりもう一度目にする機会が訪れてほしいと願っている。

 美しい金貨を紹介してきましたが、執筆していて思いのほか楽しかった。やはり美しいものは気分を良くしてくれる。「もっとも美しいコイン」第2弾も早く書きたくなってきた。

 廃刊になって久しいが雑誌ボナンザのバックナンバーを読んでいて面白い記事を見つけた。1980年10月号の「ボナンザとコイン界の15年」という巻頭記事だ。記事によるとかつては富豪の商人の趣味だったコインコレクションが一般市民に広がったのは、1965年東京オリンピックを記念して発行された千円銀貨が契機だった。千円銀貨の発行枚数は1,500万枚で1世帯に1枚入手できるはずだったが国民は早朝から銀行や郵便局に並び、入手できなかった群衆は各地でトラブルを起し機動隊の出動騒ぎとなったと朝日新聞が報じている。その後に千円銀貨の人気はすさまじく、値上がりチャートを見ると1966年の取引価格は2,500円を越え、1973年には20,000円を越え、日経新聞掲載の四コマ漫画でも取り上げられた。

  ちなみに千円銀貨はネット販売では、現在2500円~4000円で売られている。

 庭のギンモクセイが開花し芳醇な香りを放っている。香りの強さでは「銀」ではなく「金」のほう、キンモクセイが勝っているが、小生はギンモクセイを好む。それと同じように金貨で始まったコイン収集もいつのまにか興味の対象は銀貨に移り、最近は銅貨にも触手を伸ばしたくなってきている。

 9月末に解説した当ブログとHPだが、アクセス数が順調に伸びてきている。お読みくださっている皆様にお礼を申し上げます。

 このサイトは偉大なコレクターや参考文献等の紹介をメインとしているが、たまには小生のコレクションについても述べさせていただくます。コレクション歴30年ですが、長くやっているとコレクションへの熱意や、興味の対象が自然と変わってきます。最初は世界各国の大型金貨を中心にコレクションしてました。その時に参考にしたのが「世界の歴史的金貨~クロイソスからエリザベスⅡ世」(泰星スタンプ・コイン発行)です。フリードバーグやKMの金貨カタログを見ながらコレクションの完成に進みました。そのときその最大のネックとなったのが帝政ロシアです。対象としたのは1902年の一年のみ発行されたニコライ2世の37と1/2ルーブル金貨。待てど暮らせど国内オークションには登場しませんでした。やむなく12ルーブルのプラチナ貨も検討しましたが、これまたコンディションのいいものはオークションに出ませんでした。そのため大型金貨コレクションの情熱は下火になってしまいましたね。金貨コレクションは銀貨のようにきれいなトーンがかかることなく深みに欠けますが、その重量感はやはりコインの王様ですね。

 その後興味の関心は、見栄えがする大型銀貨に移り、途中からイタリアのエマヌエーレ三世のコインを金貨に始まり銀貨、銅貨、試鋳貨まで集めだし、同時に中国近代貨も欲しくなり、さらには風水に凝った時期があって中国清朝の六大銭(穴銭。おもに見栄えがいい母銭)にも手を出し……つまり自らの興味のおもむくままにコレクションをしてきました。テーマを決め脇目をふることなくコレクション道に邁進してきた方々すれば、「残念なコレクター」と言われかねないですね。トホホ……です(泣)。しかし、多くのジャンルのコインに興味を持ちカタログやら文献をあさったので、このサイトがあるのですから何が幸いするかわかりません。

 昔のことなので忘れてしまいましたが、目標となる金貨を探すために海外のオークションカタログも漁色していたらしい。上のスタックスのオークションカタログ(赤いほう)や下のスピンクのように金貨をメインにした個人コレクションカタログもある。シュナイダーコレクション・カタログはハードカバーで上下2冊という装丁・分量からも、そのコレクションの素晴らしさがわかる。

 さて、明日は何を集めようか?

 偉大なるコインコレクターを紹介するこのコーナー。第3弾は高馬邦夫コレクションだ。書棚に並んだオークションカタログを整理している最中に、このカタログがでてきたので是非とも紹介したくなった。1999年チューリッヒでHESS DIVOと日本コインオークションの共同主催で開かれたオークション。これが何がすごいかというと、日本人の名前のついたコレクションが本場ヨーロッパで開催されたことにつきる。コレクター列伝②で取り上げた大川功コレクションのように、コレクターは母国のコレクションをすることが多い。ところが。高馬氏のコレクションはヨーロッパの大型銀貨のコレクションで、しかも有名なダベンポートカタログに掲載されたコインのかなりを網羅しているということだ。

 ダベンポートカタログの正式名称は「EUROPEAN CROWN AND TALERS SINCE 1800」、つまり1800年以降のヨーロッパの大型銀貨のカタログということで、ヨーロッパのコインコレクターならば最優先でコンプリートしたいコレクションだ。高馬コレクションにはヨーロッパの夢が詰まっていると言っていい。全1039ロット、コンディションも抜群だ。コレクターは一度は夢を見る。自分の名前を冠したオークションカタログが世に出ることを。死後にそれを実現するコレクターはいるが、生前それを実現できたコレクターは高馬氏の他は多くない。

 蛇足① 海外コインの老舗ダルマの現責任者の高馬大三氏は、高馬邦夫氏のご子息だ。

 蛇足② 高馬邦夫氏は有名な切手収集家だったそうだ。エジプトのファルーク1世もコインと切手を収集していた。

 蛇足③ 2009年に日本コインオークションの主催で開催された「伊集院次郎コレクション」のカタログも出てきた。イギリスのクラウン銀貨の試鋳貨を含む全178ロットもコレクションも圧巻だ。このカタログも人気品薄となり現在25,000円でダルマで販売されている。海外でも個人の名を冠したオークションカタログは高値で取引されるケースが多い。

 コレクションの整理を始めた。といってもコインではなくて、オークションカタログのことだ。WEBがなかった時には、オークションカタログは貴重な情報源であった。自分の関心のあるコインをチェックする際に必要なのだが、コレクションの対象外の知られざるコインとの出会いがあり、そこからコレクションが広がっていくということもあった。飽きることはない。

 コイン収集の魅力は、ポケットひとつに億単位の貴重なものを入れることができることだ。先日当ブログで紹介したアメリカ20ドル金貨1933年は、1枚のコインが759万ドルだった(2002年オークション記録)。Stanley Gibbons社コインインデックスでは2002年から2013年でコインは約4倍の値上がりをしているから今このコインをオークションにかけたら6~7倍で入札しないと落札できないだろう。つまり4500万~5300万ドル。「ポケットひとつに50億円」ということも可能なわけだ。

 そんな身軽さが信条なのに、コイン収集を始めると、オークションカタログが年々増え続け管理できなくなる。小生の手元に一体何冊のカタログがあるか調べきれてないが、下の写真はほんの一部で、全部で400~500冊になるだろうか。カタログのほとんどがオークションハウスから無料で送られてきたものだ。主なものでも海外ではスピンク、ボールドウィン、Heritage、Stacks、HESS DIVO、BOLAFFI、Numismatica Genevesis、St.James Auction,国内では銀座コイン、泰星コイン、オークションワールド、日本コインオークションetc。コイン収集というのは、1枚のコインを求めるために、多くのカタログを集める趣味といえるかもしれない。

 が、さすがに限界なので、この際オークションカタログを処分することにした、ヤフオクとかあるいは国内オークションの書籍部門とかに出品するとか、カタログを必要としている方へ譲ることができれば幸いである。




超弩級コレクター列伝第2弾は日本人のコレクター(?)。「?」を付けた理由は後述いたしますが、大川功氏。大川氏はCSKやセガの会長などを歴任された経営者で、さらに新規事業やベンチャー企業の応援者としても名高い。しかし大川氏が博物館級のコインコレクションを持っていたことは意外と知られていない。

 このカタログは東京国立博物館が平成14年に発行したもので。タイトルは「大川功氏寄贈 日本古金銀貨図録」である。カタログに掲載されているのは全104点。小生は日本の古金銀については、ほとんど知識がないのだが、それでもこのコレクションのすごさは理解できる。カタログの文章をそのまま紹介しよう。「大川功氏が収集された古金銀貨コレクションは、江戸時代の金銀貨をほぼ網羅し、それ以前の天正菱大判、萩古丁銀、古甲州金など稀少な金銀貨も多数含むことから、わが国の近代貨幣史を具体的に理解する上で誠に貴重です」。さらに「その卓越した保存状態にも特筆すべきものがあり、美術品的価値はもとより日本古貨幣の基準作例としての資料的価値にも計り知れないものがあります。」ということだ。このような価値のあるコレクションをオークションにかけずに、国立博物館に寄贈するということはなかなかできることではない。小生の知りえた範囲では、個人コレクションを国に寄贈した例は、大川氏とイタリア国王ヴットリオ・エマヌエーレ三世の二人しか存在しない。

 さて大川氏のコレクションの超目玉コインはなんと言っても「天正菱大判」だ。

 天正大判は、豊臣秀吉が天正16年(1588年)に室町将軍家の御用彫金師・後藤家に製造させたもので、家臣への恩賞、朝廷・公家などへの贈呈に使用された特別な貨幣である。天正大判は2種類あり、後藤祐徳の手による天正菱大判と後藤徳乗の手による天正長大判で、重さ(量目)はともに165,4g。大川コレクションには両方とも含まれている。製造数だが、日本貨幣カタログではともに不明、wikipediaでは菱大判が約40,000枚、長大判が約55,000枚となっており稀少に思えないが、大半が溶解され、菱大判のほうは確認されている現存数は6枚だ。しかもその所有者は4枚が博物館で、日本銀行貨幣博物館、黒川古文化研究所、東京国立博物館(大川コレクション)、大阪造幣博物館。一方個人所有はサムソンのプライベート美術館、2015年Hess Divoのオークションに出品された2枚だけと超稀少になる。ちなみにHess Divoでの落札価格1億4300万円だった。大川コレクションには天正大判をはじめ慶長、享保、天保、万延の6枚の大判が含まれており圧巻のひとこと。この6枚の大判だけでも数億円の価値がある。

 さて冒頭にコレクター(?)と記した理由をここで述べさせていただく。大川コレクションの解説を書かれた西脇康氏が「貨幣会の消息筋に照会してみたが、大川氏が収集家集団に所属した事実は確認できず、その収集歴について知る収集家は皆無であった」と述べているからである。また大川氏のコレクションは、ほぼ1点ごとに和紙に包まれていたそうである。「1960年代後半以降、収集家用の特製桐箱やプラスチックケース、貨幣ホルダーが普及したが、和紙包という貨幣界で伝統的に踏襲された保存方法からすれば、このコレクションが半世紀以上前に完成していたことを予測させ」る」とも記している。

 この点について小生の大胆な推理を述べさせていただく。大川氏はコイン収集にあまり興味はなかったのだが、知人のコレクターに頼まれてこのコレクションを購入したのではないだろうか。その根拠は、もし大川氏がコインに興味あったら大判コレクションをコンプリートしていたに違いない。というのもこのコレクションでは江戸時代の元禄大判が入っていないのだ。もし大川氏がコインコレクターであったら、民間人の入手がほぼ不可能とも言える天正菱大判(しかも超一級品の状態)を入手しながら、もっと得やすい元禄大判をコレクションに加えないとうことは考えられないからだ。いかがであろうか? 皆様のご意見をお聞かせいただければ幸甚である。

 ここでは国内・国外を問わず注目のオークション、注目の一枚を紹介いたします。10月29日に開催されるモナコMDCは2020年最大級で日本人の間に人気の高いコインが多数出品され大注目です!

 外国コインの老舗ダルマより「モナコMDCオークションNO.5」の代行入札の案内が届いた。このオークションはsixbid.comで情報が更新されて以来注目していたが、このような代行入札の案内が来るとは思っていなかった。それだけ注目度が高いということだろう。国内のオークションで入札した経験があるかたは多数いらっしゃるだろうが、海外オークションの入札するという機会は少ないので、はじめに簡単な流れをご紹介いたします。 

 海外オークションで入札するには二つの方法があります。①自ら入札する。先に紹介したsixbid.comに登録して、そこから入札することが可能です。初めての場合は、これまで取引したことのあるオークションハウスとかコインディーラーを記入する必要があります(ダルマさんとかオークションワールドとかを記入すれば十分でしょう)。初めての場合、sixbid.comの入札実績がないので、最高で入札できる額が設定されますが、これは日本のオークションでも同じです。あとは事前に入札額を決めて入札するか、あるいかLIVEオークションを見ながら入札していくという流れです。ここまでは、そんな困難なことはありません。が、注意が必要なのは手数料や関税、消費税の算出です。

 かんたんな計算式はこんな感じになります。

総費用=落札額×1,2(オークションの手数料が落札価格の20%の場合)×1.1(輸入品にかかる消費税。なおアンティークコインには関税はかかりません)×為替レート +銀行振り込み手数料。

単純化するためにコインの郵送費とか保険料はここに記載してありません。

 今回のモナコMDCの場合はユーロでの支払いなので1ユーロ=125円として計算すると100ユーロで落札した場合は、16,500円(+郵送費・保険料)、これにオークションハウス指定口座に代金を送金するための銀行手数料(たしか3500円だったように記憶してます)が加算されるので、総費用は19,500円になります。つまり落札価格の1.56倍になります。

 しかし最高で入札できる金額を超える高額なコインは個人では簡単にできないで、ダルマさんのようなディーラーに入札代行をするのが一般的です。この場合の計算式は下記のようになります。

 総費用=落札額×1.2(オークションの手数料が落札価格の20%の場合)×1.11(国内ディーラーの入札代行手数料)×1.1(輸入品の消費税)×為替レート

消費税の計算がもっと複雑ですが、ここでは単純化しております。個人入札と同じ100ユーロで計算すると18,315円で若干個人で入札するより安くなりますが、それでも落札価格の1.46倍になります。ですから海外のオークションで入札する際には、総費用は落札価格の50%増しと覚えておけば大丈夫です。

 さて、ここからはモナコMDCの中でも再注目の一枚を紹介いたします。

 ロットNO.595 フランス100フラン金貨 1861E PCGS SP66+ CAMEOです。プルーフ試鋳貨の完全未使用品。これは初めて見ました。同じくオークションに出品されているロットNO.673のフランス100フラン金貨1878年 NGC PR65 CAMEOはダルマの即売誌だったかオークションで現物を見たことがあるのですが、この試鋳貨は存在自体を知りませんでした。オークションスタート価格は20万ユーロ。レア度から言えば、イギリスのウナ&ライオン以上の価値はあると思いますね。さて注目の落札価格はどこまでいくか。今後のレアコインマーケットを考える意味でも大大注目です。これ外でもイギリスの5ポンド金貨、イギリス貿易銀の金打ち、ロシア12ルーブル・プラチナ貨など小生の好みのコインが目白押しです。オークション当日は平日の深夜ですが、寝ずにLIVEオークションを楽しませていただきます。

 以下はイギリス貿易銀の金打ち。貿易銀の金打ちはたまにオークションで見かけるが、この一枚は通常の金打ちに比べ厚みがあり、重量も30%ほど多い貴重な逸品。カタログの説明文によると1984年のスピンク、2015年のボールドウィンにも出品されたものと同一のコイン。ボールドウィンから5年後の登場だが、コレクターの金庫に入ると下手をしたら今後30年もオークションに現れないことだってある。

 ベテランのコレクターさんがよく言うことがあります。若くて時間がある(余命が長い)時には金がない。金ができたとしても今度は余命が少なく、目標のコインに出会うチャンス入手できるチャンスが減る。そこがコレクションの一番の悩みどこであると。

 贋金とはニセ金ことだ。贋金の歴史は想像以上に古い。日本では「続日本紀」の701年に「私鋳銭者に懲役刑を科する」と出ている。これは日本最初の貨幣といわれた和銅開珎の発行された708年よりも古い。海外の事例は文献を調べきれてないので不明だが、貨幣の誕生とともにあっただろうと推測される。贋作はコインコレクションの大敵である。小生が30年前にコレクションを始めた頃に見かけたものは、かなり稚拙でひと目で贋作とわかったが、ここ10年は贋金製造業者のレベルがあがったため見分ける自信がなくなってきている。

 英語サイトだが、中国での贋金作りを特集した「Inside a Chinese Coin Counterfeiting Ring」というのがある。贋金つくりの様子を実際を見ることができる。

https://www.thesprucecrafts.com/chinese-coin-counterfeiting-ring-4071202

 このサイトでは中国コインをはじめモルガンダラー、イギリスのクラウン銀貨、ギリシアの5ドラクマ銀貨の贋金作りの写真があげられている。さらに裸のコインだけではなく、NGCやPCGSなどのアメリカの鑑定会社のスラブ入り入りも贋作している! このサイト記事は2007年とかなり古いので、現在の贋金作りはさらに進歩しているはずだ。NGCやPCGSは贋作スラブ対策として、ホログラム入りのシールをつけたり、あるいはスラブに記載された登録番号を検索すればそのコインの写真を確認できるなどの対策を施している。が、贋作者もそれに対抗すべく新たな対策を立てる。NGCやPCGSに登録されたコインと同じ年号・同じ額面の贋金をスラブに入れて売り出す。これに対抗しPCGSやNGC側は贋作スラブの見分け方をサイトで紹介するなど、「いたちごっこ」が続く。

 さらなる別の問題もある。NGCやPCGSはアメリカの鑑定会社なので、アメリカコインに関しては一流の鑑定眼をもったスタッフを揃えている。が他の国については「!?」と思うことがあるとコインディーラーから聞いたことがある。例えば過去に一度も鑑定したことがないコインを鑑定してスラブに入れる(つまり本物であると保証する)としたら、専門家でも判断に迷うことはある。小生のコレクションからその具体例をあげよう。

 上のコインは1899年イギリス貿易銀で裸の状態で日本のオークションで落札したものである。当然真正品としてオークションに出品されていたが「裸」なので要注意のコインだ。小生は真贋を見分ける自信がなく、アメリカのHeritageで1899年銘の画像を何枚も比較した。そこで気がついた点が2つある。(Heritageとはコイン以外のもろもろのアイテムを扱う大オークションサイトで、アーカイブが大変充実している。)そこで見つけたのが次の写真だ。小生のコインと良く見比べて欲しい。

 上がHeritageの画像。下が小生のコイン。2枚を見比べると赤マルの部分2カ所が異なっている。左マルでは、右脇の下のマントに横に2本の銭が入っている。また右マルの中で、マントの形が微妙に違っている。(上の写真ではマントの幅が小さいが、下の写真では幅が広い)。さらに調べるとHeritageにスラブ入りコインで小生のコインと同じ特徴のコインもあった。下の写真がそれである。

 見にくくて申し訳ないが、Heritageのサイト上ではZOOM機能を使い拡大できた。そこには小生のコインと同じ特徴がある。

そこで考えられる可能性は

①特徴の異なるDies(金型)が2種類あった。しかしこの特徴があるのは1899年だけであるので、その可能性は少ないだろう。

②贋金である。 小生の見立てでは、この1899年のコインは地肌の質感(写真ではわかりにくいが現物を直接見ると余計感じる)といい、エッジの馬の歯のできといい贋金の可能性を否定できない。ところがスラブ入りもあるということは……このコインを鑑定したPCGS、さらにはHeritageが贋金を真正品と間違えた可能性があるということだ。スラブは本物だが中のコインは贋金となっては初心者はお手上げだ。

 では、コレクターとして、あるいは投資家として贋金をつかまないようにするにはどうしたらいいのか。それはたくさんのコインを見て自分の目を養い、かつ信頼できるディーラーから購入することだ。そう、多くの美術品収集家のようのに……。


■「贋金・贋札」②続く

■参考のために贋作コインの画像をアップする。次の2枚のコインは中国1914年1ドル試鋳貨(パターン)だが贋作と真正品。どちらが贋作か一目で判断できる。現在の贋作品はもっと出来がいい。


「学ばざるものは儲からない!」 それはアンティークコインについても言えることだ。過去のコレクターが何に関心を持ち、何で悩んだかを学ぶことは、将来性のあるコインとは何かということを学べる。なぜならコレクターが競って欲しくなるコインは必ず値があがるからだ。ということで過去・現在に発行されたコイン専門誌・定期刊行物を紹介いたします。過去の興味ないというお方は読み飛ばしください。

  最初にあげるのは「月刊ボナンザ」。1965年から1984年の頌文社から発行された月刊誌でコイン専門誌の草分け的存在だった。廃刊されてから36年もたっているが、いまだに古書店やネットオークションでも見かける。が、コンプリートすることは至難だ。雑誌の性格上、総ページ数の約半分は即売会情報やコイン商の広告だが、記事のクオリティは高く、自分の収集分野でなくてもマニア心をくすぐる。例えば76年8月号には「中国コインに描かれた龍八態」として8種のコインの画像が掲載されている。中国人に負けず劣らず日本人も龍が好きだ。小生も龍コインに凝った時期がある。残念ながら7種止まりでコンプリートならずだった。中国コインが高騰してしまった現在では諦めざるを得ない。なお、龍の絵柄のコインは中華文明圏には多い。安南、韓国、日本、シンガポール、北朝鮮……全てコンプリートできたら壮観であろう。一方ヨーロッパ圏のコインにも龍は「ドラゴン=竜」として登場する。セント・ジョージの竜退治だ。本家イギリスを筆頭にロシア、ハンガリー、ドイツ諸国にもあったような……。しかし東洋では皇帝の象徴である「龍」が西洋では「竜」として聖人に退治される存在となっているのは納得がいかない。

 コレクターはあるテーマを決めて絵柄でコレクションすることも多い。そしてどのようなコレクションにせよ、キーコインというなかなか入手できないコインが存在し、それを求めてコレクターが競う。従ってキーコインの状態のいいものは、値上がりする。雑誌ボナンザに目を通しているとそんなことに気がつかされる。ボナンザは古書店でも入手は困難になりつつあるが国会図書館に全てそろっている。


 「貨幣研究」ー1975年に貨幣文化協会から創刊され年4回発行された。貨幣文化協会が何なのか不明だが、編集顧問・発行人に平木啓一氏が名を連ねていることから推察するに氏が経営していた株式会社ジェミニが主体の団体ではないかと思う。平木啓一氏は1974年に「世界貨幣大辞典」という豪華カタログを出版しており、「貨幣研究」も平木氏の一等級の知識を活かして刊行された雑誌なんだろう。創刊号の記事「ナポレオン一族の貨幣とメダル」、「仏領インドシナの貨幣制度史」、「ブランデンブルグ・プロイセン貨幣史沿革」など「貨幣収集と研究の本格的資料誌」の名に恥じない内容だ。また創刊号の表④に入っているジェミニの広告も優れものだ。「世界史上のライバル その1 ヴァレンシュタインVs.グスターヴⅡ世アドルフ」というテーマでドイツ30年戦争で戦った二人の王のコインとその逸話を紹介している。単にコインを販売するのではなく、歴史とセットで販売するという姿勢は当時としては斬新だったに違いない。コレクターは歴史好き・蘊蓄好きの性癖を持っているので、この広告手法はコレクターの心を刺激する。「貨幣研究」は外国コインに関する文献がほとんどなかった当時としては、外国コイン収集のためにバイブルと言って過言ではない。一方ジェミニは即売会やオークションを開催していた。古銭販売というビジネスを始めたのはロスチャイルド家だったとどこかで読んだ記憶がある。ロスチャイルドは王侯貴族に古銭を販売する際に、その歴史的経緯をカタログにして販売したそうだ。「貨幣研究」で外国コインの価値を伝える研究を発表し、一方ジェミニはクオリティの高いコインを輸入して販売する。まさにロスチャイルド商法だ。

 上の写真は株式会社ジェミニ主催の即売カタログとオークションカタログだ。1977年のオークションカタログの一部を紹介しよう。ロットno.114「オーストリア 2ターレル 1867年南部鉄道開設記念」。現在でも人気の高い大型銀貨だ。落札価格は不明だがカタログには95万円と記載されている。落札予想価格なのだろう。コインの状態にもよるが、この価格は2000年頃の相場に近い。そう考えると高く感じる。外国コインは輸入品だ。海外での価格が同一だとしても為替相場の影響を受け国内販売価格は変化する。円高になれば輸入価格は安くなるし、円安になれば高くなる。同コインは1977年に95万円だったものが、その後の円高に従いどんどん価格が下落していき、20年後にやっと元に戻ったということになる。2014年以降は、ドル相場が110円を中心にプラスマイナス10円の幅で推移しているので、現在のコレクターは為替相場という視点を持たない方が多いが、コイン投資やコインコレクションをする上ではそれを忘れてはいけないという教訓がここにある。

 小生の手元には「貨幣研究」は1976年発行のno.8までしかなく、また株式会社ジェミニがその後どうなったかネットを検索しても出てこない。業界に方に聞いたところ倒産したとのことだ。だれもその経緯を詳しく語ろうとはしない。しかし「貨幣研究」とそれ以外の平木氏の一連の書籍が外国コイン収集というジャンルで果たした業績は偉大である。


「コイン雑誌紹介②」に続く

 20世紀最大のコインコレクター、エジプト・ファルーク王!


  エジプトのファルーク1世(在位1936年~1954年)は世界最高のコインコレクターとして名高い。そしてコイン以外でも超弩級のコレクターだった。博物館級といわれた稀少コインコレクションに加えて、切手、宝飾品、自動車、ポルノグラフィー、初期カミソリ(?)、アスピリンボトル、(なぜなぜ!?)そして美女まで。彼の収集癖はとどまることをしらない。なにしろエジプトの国王である。16歳で国王になって以来、ヨーロッパへの石油の大動脈スエズ運河の利権を利用すれば「美しいものは何でも手に入れる」というコレクター道を邁進し続けることは可能だった。しかし1954年のナセルによるクーデターにより廃位となる。彼が国王として贅を極めた18年間に各分野でいかにすさまじいこれコレクションを作り上げたのか興味あるが、小生が知り得るのはコインの分野だけだ。ちなみにyou-tubeでFAROUK'S TREASURES -という動画を見つけたのでURLを紹介しておきます。

https://www.youtube.com/watch?v=wvvuxcR-bJ8

 革命後にファルークはイタリアに亡命する。彼の膨大なコレクションは後にエジプト政府によりオークションにかけられるが、その最大の目玉は8500枚に及ぶ稀少コインコレクションだった。日本のコインディーラーに聞いた話だが、各国の政府はファルークの関心を買うため贈呈用コイン(プルーフ貨)を鋳造しプレゼントしたそうだが、このカタログを見ると銀貨の金打ちプルーフ貨が何点もある。Krause(電話帳カタログ)には記載がないので、おそらくこれらがファルーク王への贈呈用として製造されたコインと思われる。エジプト国王としての立場を利用すれば博物館級のコレクションができあがるのも当然だろう。

 1954年2月24日よりロンドン・サザビーズ主幹のもとでファールークのコレクションがカイロのKoubbeh Palaceにてオークションにかけられる。(上の写真がそのカタログ。110ドルで入手した。コインも写真はモノクロでかつ全てのロットの写真が掲載されているわけではない。博物館級のコレクションにもかかわらず残念である。それでも貴重なものには変わりが無い)。革命直後で、コインの下見会は武装した兵士の監視のもとで行われるという異例づくめのオークションだった。その中で世界中の注目を集めるコインがあった。ロットno.185の17枚のアメリカ20ドル金貨セットに含まれる1933年銘の一枚だ。

 

  アメリカ1933年20ドル金貨とは、アメリカ政府によって個人所有を禁止されたコインである。アメリカは金本位制をとっており、その本位通貨として金貨が発行されていたのだが、世界大恐慌の影響を抑えるために金本位制を停止することになった。すでに発行され造幣局金庫と造幣局レジ係金庫に保管されていた1933年20ドル金貨445,469枚は1934年2月6日から3月18日の間にすべて溶解され、スミソニアン博物館に送られた2枚だけが地上に存在することになるはずだった。しかし1937年2月15日にはイスラエル・スイットという宝石商が500ドルで販売し、その後も何度か別のディーラーによる1933年銘20ドル金貨の販売という広告が新聞に掲載される。スイットが販売したコインはシークレットサービスに没収されたが、違法とは知りつつ購入するコレクターの気持ちは良くわかる(涙)。しかし一体何枚の1933年20ドル金貨が溶解という運命を免れたのか。(1933年20ドル金貨のミステリー①)

 ファルーク王コレクションに含まれた1933年20ドル金貨も溶解を免れた一枚である。オークションカタログを見たアメリカ財務省は、エジプト政府へ1933年金貨のオークション出品を取り消しと、アメリカへの返却を要請する。ナギーブ大統領はアメリカ財務省の要求を受け入れ出品を停止するのだが、コインはアメリカに返却されることなく、それ以降所在が不明となる。(1933年20ドル金貨のミステリー②です)

 そして1996年2月7日、イギリスコイン商、ステファン・フェントンの手でニューヨークに持ち運ばれるのである。フェントンの説明によれば、彼はこのコインをエジプトのコレクターから購入したとのこと。ファルークコレクションの際に行方不明となってから46年後のことであった。

 蛇足ながらロットno.185の16枚の20ドル金貨はアメリカのコレクターMrs.Nowebさんが8,467ドルで落札したし、ファルークコレクションでは最高値の落札価格だった。

 ニューヨークに1933年20ドル金貨をも持ち込んだステファン・フェントンは到着の翌日シークレットサービスに逮捕され、コインは没収される。5年間の法廷闘争を経てアメリカ政府とフェントンは和解し(利益を折半ということでオークションが許された)、2002年1月30日にニューヨーク・サザビーズにてオークションにかけられることになる。上のカタログがそれだが、表紙を見てわかるように「1933年の20ドル金貨」たった一枚だけのオークションという異例のものだ。オークションはわずか8分で終了し、落札価格は759万ドルで一枚のコインとしては世界最高価格を記録する。(その後この記録は2013年2月に開催されたニューヨークのオークションでの1794年1ドル銀貨の落札価格約1000万ドルで破られることになる)

 さて、1954年のファルークコレクションに戻ろう。われわれ日本人としては日本のコインが含まれているかどうか興味がある。金貨で11ロット、銀貨その他で7ロットあった。慶長大判、享保大判、万延大判などのほか、注目すべきはロットno.1368の明治13年のプルーフセットだ。20円金貨、10円金貨、5円金貨、2円金貨、1円金貨、1円銀貨、50銭銀貨、20銭銀貨、10銭銀貨、5銭銀貨、1銭銅貨、半銭銅貨、1厘銅貨の13枚セット。日本国内のオークションでもお目にかかったことがない逸品で、落札価格は105エジプトポンド(手数料5%を加算しドル換算すると317,5ドル)。落札者は後年大コレクターとしての名声を得ることになるジョン・J・ピットマン氏だ。

 博物館級と言われたファルーク・コレクションのオークションは9日間も開催され、全部で2798ロット、総額で218,841エジプトポンドの落札となった。当時のエジプトポンドの相場がわからないのでピットマンが落札した明治13年プルーフセットからその価値を推定してみよう。明治13年プルーフセットは1998年8月のピットマン・コレクションのpart3で約43万ドルで落札されている。それから逆算すると1998年時点での価値換算でなんと、約9億ドル!!(小生の計算があっていればだが)。ファルークの贅沢がいかにすごいことか! エジプトでクーデターが起き、ファルークが国外追放になったのも納得できる。

■蛇足① ファルーク王の切手コレクションは1951年に開催されている。上がそのオークションカタログだ(コインオークションのカタログを注文したら,間違ってこれが届いた。返品・交換するのも面倒なので、そのまま購入したというもの。海外との取引ではこういうことがよくある)。切手は専門外なので、このコレクションのすごさがわからない。残念だ。誰か教えてくれる方がいらっしゃいましたら是非ともアドバイスいただきたい。

 ちなみにイギリスのジョージ5世も切手の大コレクターだったそうだ。

■蛇足② ファルーク王にはコイン担当の侍従がいたそうだ。彼は銀貨、銅貨のほとんど全てにラッカー(ニス)加工して保存していたそうだ。(「収集」1999年10月号記事)

■蛇足③ イタリアのヴィットリオ・エマヌエーレ三世もコイン収集家・コイン研究家として著名である。エマヌエーレ三世は第二次大戦後に王政が廃止となり、エジプトに亡命しファルーク王のもとアレクサンドリアで晩年を過ごした。この二人の大コレクターがいかなる会話をしたのか非常に興味があるがだが、まったく資料がない。

■蛇足④ アメリカ1933年20ドル金貨だが、2018年5月にペンシルバニアのコインショーで別の一枚が当局によって押収された。その金はフォートノックスの金庫にこれまで押収された10枚と一緒に保管されたそうだ。スミソニアン博物館に収蔵された2枚、フォートノックスの金庫に保管された11枚、そしてファルークの1枚、合計で14枚の現存が確認されている。


■蛇足⑤ 世界一高価なコインとして検索すると、1933年20ドル金貨は1794年1ドル銀貨についで第2位としてランキングされている。しかしアメリカだけを見ても、これを超えそうなコインが存在する。1804年1ドル金貨、1822年10ドル金貨だ。世界を見れば、将来それと世界一を競いそうなコインは中国コインだろう。このまま中国経済が発展を続けアメリカを抜いて世界NO.1となり、中国共産党の幹部がコインコレクターとなり、それが2名以上となれば必ずオークションで競うからだ。その時の一枚がどれになるのか、興味はつきない。