超弩級コレクター列伝② 大川功コレクション

超弩級コレクター列伝第2弾は日本人のコレクター(?)。「?」を付けた理由は後述いたしますが、大川功氏。大川氏はCSKやセガの会長などを歴任された経営者で、さらに新規事業やベンチャー企業の応援者としても名高い。しかし大川氏が博物館級のコインコレクションを持っていたことは意外と知られていない。

 このカタログは東京国立博物館が平成14年に発行したもので。タイトルは「大川功氏寄贈 日本古金銀貨図録」である。カタログに掲載されているのは全104点。小生は日本の古金銀については、ほとんど知識がないのだが、それでもこのコレクションのすごさは理解できる。カタログの文章をそのまま紹介しよう。「大川功氏が収集された古金銀貨コレクションは、江戸時代の金銀貨をほぼ網羅し、それ以前の天正菱大判、萩古丁銀、古甲州金など稀少な金銀貨も多数含むことから、わが国の近代貨幣史を具体的に理解する上で誠に貴重です」。さらに「その卓越した保存状態にも特筆すべきものがあり、美術品的価値はもとより日本古貨幣の基準作例としての資料的価値にも計り知れないものがあります。」ということだ。このような価値のあるコレクションをオークションにかけずに、国立博物館に寄贈するということはなかなかできることではない。小生の知りえた範囲では、個人コレクションを国に寄贈した例は、大川氏とイタリア国王ヴットリオ・エマヌエーレ三世の二人しか存在しない。

 さて大川氏のコレクションの超目玉コインはなんと言っても「天正菱大判」だ。

 天正大判は、豊臣秀吉が天正16年(1588年)に室町将軍家の御用彫金師・後藤家に製造させたもので、家臣への恩賞、朝廷・公家などへの贈呈に使用された特別な貨幣である。天正大判は2種類あり、後藤祐徳の手による天正菱大判と後藤徳乗の手による天正長大判で、重さ(量目)はともに165,4g。大川コレクションには両方とも含まれている。製造数だが、日本貨幣カタログではともに不明、wikipediaでは菱大判が約40,000枚、長大判が約55,000枚となっており稀少に思えないが、大半が溶解され、菱大判のほうは確認されている現存数は6枚だ。しかもその所有者は4枚が博物館で、日本銀行貨幣博物館、黒川古文化研究所、東京国立博物館(大川コレクション)、大阪造幣博物館。一方個人所有はサムソンのプライベート美術館、2015年Hess Divoのオークションに出品された2枚だけと超稀少になる。ちなみにHess Divoでの落札価格1億4300万円だった。大川コレクションには天正大判をはじめ慶長、享保、天保、万延の6枚の大判が含まれており圧巻のひとこと。この6枚の大判だけでも数億円の価値がある。

 さて冒頭にコレクター(?)と記した理由をここで述べさせていただく。大川コレクションの解説を書かれた西脇康氏が「貨幣会の消息筋に照会してみたが、大川氏が収集家集団に所属した事実は確認できず、その収集歴について知る収集家は皆無であった」と述べているからである。また大川氏のコレクションは、ほぼ1点ごとに和紙に包まれていたそうである。「1960年代後半以降、収集家用の特製桐箱やプラスチックケース、貨幣ホルダーが普及したが、和紙包という貨幣界で伝統的に踏襲された保存方法からすれば、このコレクションが半世紀以上前に完成していたことを予測させ」る」とも記している。

 この点について小生の大胆な推理を述べさせていただく。大川氏はコイン収集にあまり興味はなかったのだが、知人のコレクターに頼まれてこのコレクションを購入したのではないだろうか。その根拠は、もし大川氏がコインに興味あったら大判コレクションをコンプリートしていたに違いない。というのもこのコレクションでは江戸時代の元禄大判が入っていないのだ。もし大川氏がコインコレクターであったら、民間人の入手がほぼ不可能とも言える天正菱大判(しかも超一級品の状態)を入手しながら、もっと得やすい元禄大判をコレクションに加えないとうことは考えられないからだ。いかがであろうか? 皆様のご意見をお聞かせいただければ幸甚である。

コイン収集歴30年 アンティークコイン図書館

外国コインを収集して30年のコレクターです。コイン収集の魅力に取り憑かれ、気がついたらオークションカタログや雑誌、参考文献、関連図書が山積みとなっておりました。いずれは棄てられてしまう可能性が高い書籍たちです。貴重な資料もあるので、その内容をWEBに残しつつ、コイン収集の魅力を紹介したいと思います。

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